2017年04月05日

なんだかむしょうに、両親に会いたい

昨日の朝、最初は衝動に駆られてしまってつい
なんだかむしょうに、両親に会いたい
とだけ書いて、「会いに行けるのならいいじゃないか」と何人もの人に思われたようだったので、「もうとっくにいないのに会いたい」という気持ちをちゃんと書かなくちゃダメだったんだと気づきました。
言葉が足りないせいで不要な誤解を与えてしまった事、お詫び申し上げます。
(いつもは「言葉が多すぎて何が言いたいかわからない」事が多いので、「肝心な事はきちんと言えない」というほうには自他共に気付きにくいのです)

これもあまり詳しくは言えなくて誤解を招きやすいのかもしれませんが…
私が、今は天国に二人揃っている両親に「むしょうに会いたい」と思ってしまうのは、二人は私が知らない時代を40〜50年も知っているから、今やっと自分が生まれた時の父の年齢も越えて初めて、そういう時代の事を改めて父母それぞれの「自分の言葉」で、声で、もう一度聞きたい、と思ったからです。

昨今は、過去の時代について、その頃を直接見聞きした人々がもうほとんどいなくなってしまったからと言って、身勝手に塗り替えて語る事が横行するようになってきたと強く感じます。
が、それは私とて同じことかもしれないし、時代が移り変わっていく事を思えば無理からぬ事でしか無いのかもしれません。

だからこそ、私が20代半ばの頃に74歳で逝ってしまった父や、私が40歳になる前に80歳を迎えた直後に逝ってしまった母の「生の声・生の言葉」を、なおさら聞きたくなってしまうのです。
もちろん、本当に生きていて(父106歳、母96歳)何か語ってくれたとしても、当人の中でも記憶は様々な方向に捻じ曲げられたり美化や脚色されたりしてしまうものだし、
当事者や当事者を直接知る人が一人も存命しなくなってしまったら、もう誰がどのように言おうと「勝手」なのかもしれません。

が、せめて「大切な事」ぐらいは、世代を超えて引き継いでいきたいのです。

生きたいのです。

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私にとって、母が亡くなって東京の小平霊園に納骨した際に見えたヴィジョンは、両親に対する今の私の気持ちへの大きな支えになっています。
母は15年ぶりに父と再会し、今はもう神様の足下で幼な子のように穏やかに笑う父と二人揃って、もう何も悩みも苦しみも無いことを心から喜び、ただ無心にニコニコしているのです。

私もいつか二人の元へ行ったら、その時にはきっと両親と一緒に、ニコニコしていられるようになるのだろうなあ、その時に両親に楽しく語ってやれる「楽しい思い出」になるよう、今地上で生きている私は精一杯幸せに生きていけるようにしよう!と、これはいつでも思っている事です。

二人が生きている間には、それができた記憶は全く残ってはいません。
かすかに、「音楽がある時だけは家族みんなが笑顔だった」と曖昧に思い出すぐらいです。
それが、私が音楽だけをやって残りの人生を過ごそう、と決意した、最大の理由です。

長文で失礼しました。
もしかしたら余計な事が多すぎて肝心な事は伝わっていないのかもしれません。
が、私はこれでも、もうどこをどう割愛すればもっとわかりやすくできるのか、判断できないのです。
もしもわかっていただけたら、それは私にとってすごく嬉しい事です。


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プロフィール
さとばな
さとばな
一五一会伝道者(ケイティクラブ公認インストラクター)、トランスジェンダー(ポストオペMtFバイ)。静岡出身。静岡大学合唱団いぶき卒、中央合唱団研究生を経験。萩尾望都他漫画好き。
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