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2011年07月04日

私なりのプチ?「被災」と「復興」=「自転車」??

まず最初に、原発に対する私の考え。

1)科学的に見て妥当な安全性が確保されたら、原発は稼働しても良いと思う。
ただし、それが何十年後になるのかは不明。
まず核廃棄物の処理の仕方をどうにかしてから。

2)私たちが「被曝」について納得してからでないと、原発の稼働は不可能。
被曝「するかしないか」ではなく「被曝している」のを前提に考えるしかない現状。
被曝の結果発癌率や催奇形率が高くなっても「それは仕方ない」(排気ガスによって花粉症の発症率が高くなるのと同じようなもの)と思えるようになるならば、それはそれでいい。
ただし、私たちは震災が起きるまで、主に冷戦時代の言論統制によって核について殆ど中学生レベルの知識すらもないままで放置されてきたので、それが回復しない限り「納得」などできるわけがない、とも思う。

3)「経済」がどうのこうの言って「だから原発が必要」と論じようとする人がいるが、私にとっては単純すぎてお話にならない。
いくら経済を「右肩上がり」に発展させようとしたって、それを享受する「人」がばたばた倒れて死んでしまい人口が減ってしまったらお話にならない。
「右肩下がり」で収束していく経済、というものをきちんと構築できるようになるまで、私は幼稚な「経済」の話には耳を貸す気はない。

4)「軍事」と絡めて原発を論じようとする人がいるが、私はまともにその論議に加わることができない。
最初から「核トラウマ」を歪んだ形で表現したのが「核じゃなくて原子力という名前で呼べば国民は別のものだと勘違いしてくれるでしょう、軍事利用じゃなくて平和利用だよ~隠れ蓑だけど。あっ、オフレコオフレコ」などという欺瞞でスタートしているものなので、そんなものを私が冷静に受け入れられるわけがない。

※「核トラウマ」…と勝手に名づけているけれど、日本人は「世界で初めて、しかも唯一実際に核攻撃を受けた国(国土と国民)」という自覚=トラウマがあるので、それに対して方向はともかく「過剰反応」しがちになる傾向がある。
トラウマがそのまま出れば、トラウマの原因となったものをただひたすら「忌避」しようとする。これはわかりやすい。
が、なんとかしてトラウマを克服しようとするあまり、トラウマの原因をどうにかして自分の中にも取り込んでしまおう、という強い動機を持ってしまうことがある。
例:ヤクザに絡まれてボコボコにされた経験のせいで、自分もチンピラになってしまう、とか。
日本人が「核」を「原子力」として取り組む時、多かれ少なかれそういう傾向があるのは仕方ないと思う。
ただ、これが「過剰反応」であるところが怖い。
無理しているから、実はそのものを「正視」してはいない。
結果、おかしな言論統制に走ってしまい、国民の「トラウマによる忌避感情」を抑えるばかりか、政府自身や電力会社の当事者たちの多くも核や放射能・放射性物質に対して実感を伴う把握ができないまま今に至ってしまったのではないか。
そのことが、今度の震災でぶちまけられてしまった。

「震災後」は「戦後」と似ているね、なんて呑気に呟いてみたけれど、もしも似ているのなら、今は統制機能がすっかり壊滅しているからダダ漏れになっているけれど、たとえば「レッドパージ」のようなことが起こって国民は再び黙りこくってしまい、もう誰の目にも明らかになってしまったウソ「原発は安全です」をもう一度「信仰」して生きるようになるのか、日本のすぐ近くにある最貧国の隣人のように。

「震災後」であると同時に、新たな「戦時中」になってしまったかのようだ。
ちょうど、太平洋戦争が終わったと思ったら実は「冷戦」という新たな戦争の時代に突入していたように。
敵はだんだん見えにくいものになっていく。
今はもう、αとかβ、γなどと名前はつけられていても、目では決して見ることのできないものが「敵」になってしまった。
灰色の花は舞い散り、降り注ぐ。

さて。
そんなことを言っているうちに。

私にとって、ちょっとした「被災」と「復興」があった。

実は、震災の前後に、私は自分がそれまで乗っていた自転車をなくしてしまっていたのだ。
どこかに置きっぱなしにしてしまった、ということは覚えていたのだけれど、ちょうど震災の直前(前日とか前々日とか)にどこに置き忘れたのかを、震災のショックで?記憶がごっちゃになってしまった。
確か街なかのどこかに、と思って探してみたけれど見つからない。
仕方ないから放置自転車を管理するところにも問い合わせたけれど、見つからない。
あーあなくしちゃった残念、と思って新しい自転車を発注。ただし「リサイクル自転車」=管理されていた放置自転車を市から安く払い下げ受けて再生して売る、というもの。5~6千円。
で、もうそろそろ出来上がるのだけれど、…と思っていたら、まさかそこにあるとは思ってもいなかったところで、それもようやく今朝になって、発見!
我が家の筋向かいのコンビニの駐車場脇。
どうやら駐車場に長いこと放置されていたのを片付けた模様。
誰、自転車にかわいそうなことしたの?…あたしだよ!

自転車をなくして使えない、と気づいたのは、それ自体も震災から数日たってからだった。
しばらくは寒かったり雨が降ったり落ち込んだりしていて、探しに行くこともできずにいた。

ただ、どうも、「自転車に乗れない」=「適度な運動ができない」ことで、私は余計に落ち込んでしまっていたらしい。
新しい自転車を発注したら、リサイクル自転車屋のおじさんがたいそう親切で、お店の自転車を「これ乗っていきなよ」と貸してくれた。
それに乗ったら、なんだか気分がずいぶん楽になってしまった。
少なくとも、とってもアクティブな気分になった。

で、先週の木曜日、6月で唯一の「全休日」だったので、まる1日かけて(というか午前中はだらだら過ごしてしまって午後から夜まで)、浜岡原発の「見物ツアー」に出かけてしまったし。
まあ、いざ行ってみたら、本当に「なーんでもない」様子だったけど。
全炉が停止しているので静かなもので、温排水も出ていないし。
(火力発電はCO2出すから温暖化を進めるっていうけれど、原子炉稼働している限り何千トンもの海水を7℃上げ続けるのも相当温暖化進めると思うぞ?)
取水口は海中にあり、おそらく津波が来たら沈んじゃうか折れちゃうか…どのみち冷却にはだいぶ不安が。
私は「立ち入り禁止」の看板の前で、自分の歌『灰色の花』を歌ってきました。
しょっちゅう釣りに来ているというおじさんは、そんな看板などおかまいなしにさっと越えて、奥の方まで釣りに行ってしまったけど…

自転車が見つかったのが、私なりの「復興」。
被災の被害は「止まっていた振り子時計が動いた」ことだけじゃなかったんだ。

……それにしても、こんなことははっきり言ってまったく「被災」でもなければ「復興」でもない。
私の、ただの日常。
それに「被災」だの「復興」だの名前を付けて騒ぎたがる、それが私にとって実はいちばんの「被災」なのかもしれない。
ネットにハマりすぎてるから…
でも、ネットのおかげで震災前の言論統制が破綻した、とも言えるので、それは決して悪いことではない。(政府や電力会社や「旧勢力」は目の敵にしてるだろうけど)
関わる私が呑まれて暴走しなければいいだけのこと。…呑まれちゃってるみたいだけどさ(笑)

…何の結論もない日記ですみません。
あ、一つだけ結論が。というかもう書いたけど
「震災前になくした自転車がやっと見つかりました」
言いたかったのはこれだけ!
あーうざいヤツ。


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Posted by さとばな at 08:56│Comments(0)震災関連
 
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プロフィール
さとばな
さとばな
一五一会伝道者(ケイティクラブ公認インストラクター)、トランスジェンダー(ポストオペMtFバイ)。静岡出身。静岡大学合唱団いぶき卒、中央合唱団研究生を経験。萩尾望都他漫画好き。
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